メッセージ
1999年10月、すべてはローマからはじまった
さっきから盛んに何か言われているのだが、さっぱり分からない。
その時僕は、観光客でにぎわうローマのスペイン広場から程近いギャラリーにいた。
ここは現代アートの老舗画廊、Studio Soligo。
イタリア流の身振り手振りでも伝わらず、向こうもとうとうお手上げ状態に。
翌日、僕をここに紹介してくれた桜田裕子さんとともに再訪する。
あらためて話を聞いてビックリ、来年ここで僕の個展をやろうと言われていたのだ。
天にも昇る心地だった。
1999年10月、すべてはローマからはじまった。
「中嶋は、まだ知的行動に優先されている面がある。」
「この域を脱した時、<書>でなければ表現できない<美の力>が更に開けてくる作家である。」
ローマ展のため、岩波映画監督の諏訪淳さんからいただいた言葉だ。
性分なのか元々が建築コンサルタントだったせいか、どこか冷めていて頭が先走るきらいがある。
我を忘れるほどの情熱がなければ.....いつもそう思っていた。
ある時、テレビ番組で筑紫哲也さんと出会い、「手考足思」という言葉を知る。
陶工・河井寛次郎は、手で考え足で思うのだそうだ。
そうか、頭でなく身体だ!
床に特大の紙を敷き、その上にズカズカと裸足で乗って書いてみた。
身体はいつしか太極拳の動きとなる。
字を書くというより、字を書く身体の軌跡が紙に宿った気がした。
その時、未だ見ぬ自分が出現した。
これが転機だったかもしれない。
2006年、フランスを代表する振付家 ジョセフ・ナジさんからアヴィニョン演劇祭に招かれる。
南仏の古都で延べ千人を前にパフォーマンスを二週間続けた。
すべてが初体験の中で現地取材のTBSプロデューサー、徳光規郎さんに言われた言葉。
「書家という自分の原点を忘れるな。」
この言葉、日本を離れてみて心底身に染みた。
そう言えばスキンヘッドを勧めたのもこの人だ。
髪を剃ったら「お寺の方ですか?」と訊かれ、それを機に禅に興味をもつ。
なんと、太極拳は動く禅だった。
風、水、花、空、月......どの字も禅の象徴そのものだった。
もともと好きで書いていた字が、お陰でますます大好きになった。

1999年10月、僕は観光客でにぎわうスペイン広場から程近いギャラリーにいた。ここはローマの現代アート画廊、Studio Soligo。イタリアだけでなく、広くヨーロッパにネットワークを持つ名だたる画廊だ。画廊主のRaffaellaさんがさっきから僕に盛んに何か言っているが、さっぱり分からない。翌日、僕をここに紹介してくれた桜田裕子さんを伴って再訪する。あらためて話を聞いてびっくり。来年ここで僕の個展をやろう、と言われていたのだ。天にも昇る心地だった。
その一年前に、僕はギャラリーアルテッセの桜田裕子さんとともに、この画廊を訪れていた。桜田さんは以前、東京で僕の個展を見て「中嶋の書は現代アートだ」と言い、ここStudio Soligoを紹介してくれた。作品を画廊主のFranco Soligoさんに見せると、「作品をつくるところを見たい」と言われた。持参してきた筆と墨を出してその場で書いて見せると、Francoさんはとても興味を持ち、「個展のオープニングにはパフォーマンスをしよう」と言ってくれた。海外展を切望していた僕は期待を胸に日本へと帰る。だが半年後、彼は急逝してしまう。突然の訃報を知り、この話はもう終わったものとあきらめた僕は、お悔やみを兼ねてローマを再訪した。そして、あの時のFrancoさんの思いが画廊の後を継いだ夫人、Raffaellaさんの胸にしっかりと繋がれていたことを知ったのだ。そして翌2000年の4月、ローマ展は実現する。作品とともにパフォーマンスも評判になり、活動の場はヨーロッパ各地へと広がっていった。

このローマ展のため、岩波映画監督の諏訪淳さんからいただいた言葉がある。「中嶋は、まだ知的行動に優先されている面がある。この域を脱した時、<書>でなければ表現できない< 美の力>が更に開けてくる作家である。」性分なのか、元々が建築コンサルタントだったせいか、どこか冷めていて頭が先走るきらいがある。我を忘れるほどの情熱がなければ......いつもそう思っていた。
2001年に筑紫哲也さんと出会い、「手考足思」という言葉を知る。陶工・河井寛次郎は、「手で考え足で思う」のだそうだ。そうか、頭でなく身体だ! その年に招かれたフランスのオルレアン国立劇場でのパフォーマンス。僕は床に特大の紙を敷き、その上にズカズカと裸足で乗って「風」の一字を書いた。真っ白な画面の中に入り込むと、いつしか心は無となり身体は太極拳の動きとなる。字を書くというより、字を書く身体の軌跡が紙に宿った気がした。その時、未だ見ぬ自分が出現した。これが転機だったかもしれない。
三年後の2004年、フランスを代表する振付家Josef Nadjさんから突然連絡が入る。オルレアンでのパフォーマンスを見ていた彼は、名前だけを頼りに僕を探し出し、千葉のアトリエまで会いに来てくれた。そして、彼が芸術監督を務めるアヴィニョンの演劇祭にアーティストの一人として僕を招きたいと言ってくれた。僕は戸惑いつつ、この招待を受ける。後に、アヴィニョン演劇祭が世界三大演劇祭のひとつと知り驚いた。日本からはこれまで観世栄夫氏や勅使河原宏氏など、そうそうたる著名人が招待されていた。

2006年、第六十回アヴィニョン演劇祭。夏のバカンスでにぎわう南仏の古都アヴィニョンで、 延ベ千人を前にパフォーマンスを二週間続けた。教会で毎夜一枚の「月」を書く。壁にその夜の月が映し出され、天井には書かれた「月」が一枚、また一枚と毎日吊るされていく。十四日間で十四枚の「月」のインスタレーションが完成。この様子は一時間のドキュメンタリー番組になった。この時TBSプロデューサーの徳光規郎さんに言われたこと、「中嶋の原点は書だ」。この言葉、日本を離れてみて心底身に染みた。人は日常の外に出ることで自分とは何かを知る。そう言えばスキンヘッドを勧めたのもこの人だ。髪を剃った時も非日常が見えた。誰彼から「お寺の方ですか?」と訊かれるようになり、これを機に禅に興味をもつ。風、月、水、花、空 ...... どの字も禅の象徴そのものだと気づく。もともと好きで書いていた字が、お陰でますます大好きになった。
2000年のローマ展以降、世界各地で個展とパフォーマンスを重ねてきた。その数は優に七十回を超える。そこにはたくさんの出会いがあった。その一つひとつが今日まで僕を導いてくれている。数々の出会いと幸運に恵まれ、ここまでやってくることが出来ました。見守ってくださった全ての方々に心から感謝します。
中嶋宏行
「 いま、こ こ 」 の 証 し
異なる価値観の中に身を置くと普段気づかない発見をします。私は海外でたくさんのアーティスト達と知り合い、自分というものを知ることが出来ました。例えば、毎日何気なく使っている墨のこと。すられた墨は常に変化し、昨日と今日では違う顔を見せます。墨のにじみは変幻自在で思い通りにはいきません。しかし制御出来ないからといって忌み嫌うのではなく、むしろ積極的にこれを受け止めます。自分の力は半分まで、あとは他力に委ねながら制作を続け、最後に書きためた数百枚の山の中から一枚を選び、残りを捨て去って作品の完成とします。
一方、油絵具の発色や延びはその日によって変わることはなく、画家は一枚のキャンバスと長い時間をかけて向き合い、少しずつ前進しながら完成に至ります。環境に応じて変化する不測の画材、墨。対して常に安定した不動の画材、油絵具。「諸行無常」と「永遠不滅」、まるで東と西の価値観を象徴するようです。 そもそも西洋の考え方では「人」と「自然」は対峙しており、「自然」は「人」によって制御される対象となります。片や東洋の「自然」という言葉は「人」を含めた万物全体を示します。人も自然の一部。自然を敬い、自然を畏れながら、自然とともに生きていくという考え方です。私は彼らの製作現場を見ることでこのことに気づき、自分の立つべき位置を知りました。
ところで彼らは立て掛けたキャンバスに向かって描きますが、私は紙を床に敷き裸足でその上に立ちます。画面に向き合うのではなく、画面の中に自ら入り込み、手足を使ってアクションの軌跡を紙にしるします。こうすると頭よりむしろ身体が強く介在するので、思惑を超えた何かが起きることがあります。確かに自分が書いたのだがどうもその実感がない、でもよく見ると凄くいい、そんな感覚です。事前に青写真があると、どんなに出来が良くても結果は100点止まり。でも予期せぬ他力が介在すると120点の佳作が生まれます。頭で作り上げるものではない、それは手足からふと生まれるもの。いい作品とはそういうものだと思うようになりました。「書の本質はアクションにあり」です。
とりわけ、書のアクションには必ず起点と終点があります。ひとたび筆をとったら字画にしたがって一気に最後まで書くのみ、やり直しや後戻りは出来ません。書かれた線を順にたどれば筆がどう動いたか、時間の流れとともに読み取ることが出来ます。一方、私が海外で目にした抽象画の多くは、書きはじめから書き終わりまでうまくたどれないものでした。芸術には、時間に関わるものと関わらないものがあります。書は音楽や舞踊と同様、時間とともにある芸術です。私はこの経験から、見ることの出来ない時間をかたちある美につなげたいと考えるようになりました。
禅に「今、ここ」という教えがあります。過去は過ぎ去ったものであり決して戻らず、未来は未だ先のことです。過去を悔やみ、未来を憂いてもどうにもなりません。大切なのは自分が置かれた場所で、目前にある今を全力で生きることです。私は「今、ここ」に生きた証しとしてかけがえのないこの一瞬を筆線に残したい、思惑を超えた他力を借りながら唯一無二のかたちに結晶させたい。
自分中心、モノ中心で人々がすさんでいくこの時代、私の作品が少しでも何か明るい示唆になればと願っています。
書 の 特 質 と は ?
書の特質とはどのようなものだろうか? 書には「造形」と「意味」があると言われる。「造形」とは作品にみられる布置や形、線質のこと。西洋美学の井島勉によれば「書は文字の美術、造形芸術の一ジャンル」であり、また書家の鮫島看山は「書は線の美、文字という素材を借りて表現する線の芸術だ」と言った。書は文字を使った造形表現であるという考え方である。
画面は床に敷かれています。私は画面と向き合うのではなく、画面の中に自ら入り込んでいきます。腰を落とし、身体を少しかがめ、間をとりつつ、手足は円弧を描きます。太極拳の動きです。頭を使って文字を書くのではありません。文字を書こうとする身体の軌跡が紙面に残るのです。

書と時間性
書の場合、一旦筆を紙に置いたらもう後戻りは出来ない。一度書いた線を取り消すことは出来ない。後はただ前へ前へと書き進むだけである。文字を書いている以上、一画目から始めて最終画を書き終えたらそれで終わりである。スタートからフィニッシュまで、作品は一定の時間の中で時の流れに沿って現前していく。書について、音楽や舞踊との類似性を指摘される所以である。 書の優れた作品を前にすると、書きはじめから書き終わりまで、無意識に筆線を目で追いかけていることがよくある。その時、ここは勢いよく一気呵成に、ここは慎重にじっくりとなど、筆がどんなふうに動いていったか、まるで製作現場にいたかのように書き手の筆の動きを想い描くことが出来る。

書と自然性
パフォーマンスの直後、「出来上がった作品はどうするのですか?」とよく訊かれる。「乾いた後で引き取ります」と答えると「撤収までどれくらいかかりますか」とまた訊かれる。 だが実を言えば、拍手の後もまだパフォーマンスは続いている。紙に放たれた墨は、観客が去った後も生きもののように動いている。墨が完全に乾ききるまで、墨跡は刻々と変化しながらパフォーマンスを続ける。観客の方々は私が関与した前半部分を見たに過ぎない。 筆を置くと、墨は紙の上をゆっくりと滲みはじめる。乾ききると溜まりが紋を残す。私はこうした人の手の届かない作用を作品の中に取り込みたいと思っている。

墨のにじみや溜まりは自然が生み出す現象のひとつであって、書き手には制御しきれないもの。だが、制御出来ないからと言って排除するのでなく、逆に積極的に受け止めて、自然の力とともに作品を完成させていきたい。
これは、まだミラノにアトリエを設けて間もない頃のブログ。当時はキャンバスにアクリル絵具で作品を制作していた。
『キャンバスはアクリル絵具との相性が抜群です。でもアクリル絵具には墨のような「あそび」や「雑味」はありません。工業製品として常に均一で安定している反面、偶然性の入り込む余地のない素材です。なかなかこれに馴染めずに戸惑っていました。
先日、墨と相性が良さそうなキャンバスを見つけた。布地がきめ細かくて肌触りがいい。これをいつか試そうと機会を待っていた。
この一週間まるで梅雨のような天気が続いていて、昨日も雨の一日。アトリエの窓を全開放して部屋の中に湿気をいっぱいに取り込む。淡墨をそっとキャンバスの上に落としてみる。すると、たちまち墨がキャンバスの上を泳ぎだした。久しぶりにホームグラウンドに帰ってきた生き物のように。刻々とにじみとたまりが変化していく。窓は一晩中開けたままにしておく。翌朝、着替えももどかしくベッドから起きだす。作品はすっかり乾いていて、夜中に墨と水とがたわむれた跡が残っていた。』

墨と水が出会うと魔物に変わる。にじみやたまりは変幻自在で決して思い通りにはいかない。だからこそ飽きない。我を出し過ぎてはいけない。自分の仕事は半分まで、後の半分は素材がもつ自然の力にゆだねる。筆を置いた瞬間が完成の時ではない。素材に宿る自然の力を借りて作品を仕上げる。一方、西洋絵画は向かう方向が全く違う。特に油絵の場合、その日の気温や湿度で絵具の発色や伸びが変わってしまったら画材として不可ということになってしまう。彼らにとって技術とは自然を制御するものであるという考えが強い。 西洋の "Nature"という言葉は、"Man"に対する相対的な概念として存在する。そこでは、主体である「人」と客体である「自然」が対峙している。「自然」は「人」によって制御される対象になる。一方東洋の "自然"という言葉は、もともと人を含めた万物全体を示している。人は自然の一部。自然を敬い、自然を畏れながら、自然とともに生きていく。 私は自然の作用と寄り添いながら、あえて偶然の美を受け入れていきたいと思っている。