'地球の化石’

2023年05月26日


中世の時代、西洋絵画は教会や宮殿のものだった。教会の絵画はキリスト教の世界を描き、文字の読めない信者にも聖書の教えへ伝えた。宮殿の壁には王侯貴族の肖像画が飾られた。だがフランス革命以降、絵画の主題はこうした特権階級から一般の人々へと変わり、19世紀の画家たちはリアリズムという様式で市井の暮らしや物、風景をあるがままの形に描いた。その後20世紀の始まりを前後して、画家たちは見えるものをリアルに描かず、感じたままに表現するようになる。写真の発明がこの流れを加速させ、印象派、フォービズム、未来派、キュビズムなど、新たな様式が登場した。やがて第一次世界大戦後、ダダイズムの芸術家たちは従来の価値観を拒絶して挑戦的な作品を制作した。この影響を受け、もはや目に見えるものを対象とせず、非現実的で非可視的な世界を可視化しようとする試みが始まり、それがシュールリアリズムや抽象絵画へと発展していった。

そして第二次世界大戦後に現代美術の時代が始まる。それまで多くの画家たちは平面の画面に三次元のイリュージョンを描いていたが、新しい画家たちはこの伝統を疑問視して絵画の本質を再定義した。1950年代には抽象表現主義が隆盛し、アクションペインティングというスタイルが生まれる。画家にとってキャンバスはもはや絵を描くための画面ではなく、アクションのための舞台となった。さらに1960年代には、ポップアート、コンセプチュアルアート、パフォーマンスアート、ミニマルアートなどさまざまな美術様式が次々と登場した。

私は今、「地球の化石」というシリーズを制作している。この新たな作品群はキャンバスの上で自然現象を促すものである。キャンバスは何かを描く画面ではなく、アクションの舞台でもない。そこは自然現象を喚起する場となる。私は無為に、筆も使わず、墨をグラスからキャンバスにばっと溢しこむ。時間と自然を味方につけたいと願いつつ。グラスを置くと墨は生き物のようにキャンバスの上をさまよい、溜まる。墨が乾くとそこに不可思議な模様が残る。まるで目の前に地球の化石が現れたかのようなその瞬間、母なる大地は何千年の時を超えて我々にメッセージを送る。

シリーズ「地球の化石」は、「一回性」「二元性」「自然性」を特徴とする書に根差している。

一回性: ひとたび筆をとったら最後まで一気に書くのみ、休止や後戻り、書き直しはない。最後の一画を書き終えた瞬間が制作完了の時。

二元性: 書には文字が書かれているところといないところがあり、空白部分は「間」として知られている。「間」は 「 無 」と は 違 い、観る者にイマジネーションを喚起するもの。

自然性:筆を置くと墨はゆっくりと紙の上をにじみ始める。書き手は自ら操作出来ないこの現象を敢えて受け入れる。自然の力とともに生まれるのが作品。

新しいものに挑むために筆と紙を放棄した。筆の代わりにグラスを使うことで筆遣いの技巧から解放された。墨を入れたグラスをただ一振りするだけで、より多くの偶然性と予期せぬ「間」を呼び込むことが出来る。 キャンバスを使うことで自然性は未知の別の顔を見せた。 墨が外に向かって一様に拡散する紙とは異なり、キャンバスでは墨が内に向かって収束して不可思議な模様を残す。